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米沢藩 Part1

  • 上杉十五万石「米沢藩」(正面)
    上杉十五万石「米沢藩」(正面)

 上杉十五万石「米沢藩」の提灯です。
 提灯の右側には、米沢市に伝わる木彫工芸品である笹野一刀彫の「お鷹ぽっぽと鶏」が描かれ、左側には毘沙門天の生まれ変わりと自称していた上杉謙信が合戦の際に使用していた『毘の一字旗』と『天賜の御旗』とも『日の御旗』とも呼ばれる紺地に赤の日の丸旗が描かれています。

 米沢藩とは、出羽国置賜郡を治めた藩で、藩庁は米沢城、藩主は上杉氏でした。提灯には藩主の名と共に石高15万石が表記されています。
 これは上杉家が徳川家に逆らっとして関ケ原の戦いの戦後処理の一環として会津を中心に120万石を有していた石高を30万石にまで減らされたのです。更にその後にも跡継ぎ問題など苦難が続く中、遂には石高15万国にまで減らされてしまったのです。

 この日本一貧乏になってしまった米沢藩の再建に取り組んだのが、理想のリーダーとも言われる上杉鷹山です。
 鷹山は、贅沢を改めず荒廃してしまった米沢藩を見てなんとかしなくてはいけないという強い思いから、色々な政策を打ち出していきます。そのひとつが兵農分離の江戸時代において、武士が農業をしたりなど、身分に囚われない組織改革を行いました。
 更には、稲作だけで安定しないので、漆や楮、桑、紅花なども栽培し、漆の実からロウソクを、楮の皮を剥ぎ和紙を、紅花の花から染料を、桑の葉で蚕から生糸を紡いで絹織物を作るなど次々と改革を行いました。
 その結果、米沢藩は30万両もあった借金を鷹山が家督を継いで56年後に完済するに至ったのです。

 『為せば成る、為さねば成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり』これは有名な鷹山の言葉です。
何事も諦めず強い意志を持って行動することが大事であるという事は、現代にも通じるものだと思います。

 上杉家や米沢藩に所縁のある観光地としては、米沢城跡、上杉神社、伝国の杜などがあります。
全て同一エリアにありますので、JR米沢駅からバスで10分程度で行くことができます。