屋島
後世に語り継がれる源平合戦の名場面「扇の的」。その舞台が屋島でした。
都を追われた平家は、放浪の末、屋島に拠点を置くこととしました。
安徳天皇と三種の神器を奉じた平家は、この地で再起を図ります。
やがて都奪還のため、一ノ谷(兵庫県神戸市)に兵を進めますが、
源義経らに敗れ屋島へと撤退しました。
勢いにのる源義経は平家追討のため屋島を目指します。
ここに「屋島の戦い」とよばれる合戦が幕をあけるのです。
その「屋島の合戦」のシンボル的名場面こそが提灯にも描かれている
那須与一の「扇の的」のシーンなわけです。
阿波(現在の徳島)方面から奇襲をかけて戦った義経軍でしたが、
戦いは一進一退で、遂に日も暮れかけ両軍が引き始めたころ、
海上の平家軍から一艘の船が近寄り、
船上の女性が扇を射るようにとの仕草を見せます。
これを見た源氏軍の総大将義経は、
自軍の中から扇を射ることができる武士を探すよう命じるのでした。
当初、畠山重忠が選ばれますが、重忠は辞退し代りに那須為隆を推薦します。
為隆も傷が癒えずと辞退し、弟である那須与一を推薦します。
あまりの大役に与一は尻込みし、一度は辞退したとも伝えられています。
しかし、主君の命を断ることはできず、
ついに的を射る役目を受けることを決意しました
両軍が見守る中、扇が掲げられた船に与一は向かい、
海面に突き出した岩の上まで馬を進めます。
狙いを定める与一ですが、そこは海の上。無常にも船は揺れ、
扇の的も右へ左へと狙いが定まりません。
与一は近くにあった岩に一心に祈ります。
すると波は静まり、船の揺れも止まります。
この時とばかり、与一は狙いを定め弓を放ちます。
与一の手から放たれた矢は、扇の的をめがけて一直線。
見事に扇を射抜くことができました。
その瞬間、敵味方を問わず両軍から歓声が沸き上がります。
与一が弓を射る前に祈ったとされる「祈り岩」と、
両軍から歓声が沸き上がった時に、与一が馬を止めたとされる「駒立岩」が、
現在も残っています。「駒立岩」は引き潮になるとその姿を見ることができます。
JR高松駅から「ことでんバス/庵治線/庵治温泉行」で約35分。
「祈り岩・与一公園」バス停下車。
参考:うどん県旅ねっと