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絵島・生島/高遠藩

  • 絵島生島
    絵島生島

「絵島生島」と「高遠藩」の両面提灯です。歌舞伎や歴史に精通している方ならわかるかも知れませんが、全く知らない方なら「なんのこっちゃ?」という提灯です。

まず、「絵島生島」は、「江島生島」とも言われ、「江島」も「生島」も地名ではなく、人名なのです。
では、どういったことなのか。

江島と生島という2人が関わる事件がありました。その事件を「江島生島事件」と言います。
どんな事件だったかと言うと、今を遡る事約300年前、江戸中期の頃、江戸城大奥御年寄の江島(絵島)が歌舞伎役者の生島新五郎らを相手に遊興に及んだとされ、それが引き金となって関係者1400名が処罰された綱紀粛正の事件の事です。
ざっくり言えば、第7代将軍家継の母で月光院に仕えた大奥の女中大幹部の御年寄である江島が、主人の名代として前将軍家宣の墓参りに行った帰りに歌舞伎を見に行って帰るのが遅くなり、門限を破った事が、なぜか「江島が歌舞伎の生島と遊興に及んだ」という事になり、罪を問われるようになったのです。
この事件の背景には、6代将軍家宣の正室「天英院」と7代将軍の生母「月光院」の権力争いというのがあったと言われ、この「江島が生島と遊興に及んだ」という部分は、冤罪の可能性が強いと言われています。

ちなみに、この事件後、江島は高遠藩の内藤清枚にお預けとなりました。
この一連の事件を表現したものがこの提灯なわけです。