新撰組①
「新撰組」の提灯です。「新撰組」は、誰もが一度くらいは耳にしたことがあるのではないでしょうか?
簡単に言えば、江戸時代末期に幕府軍側の警察として京都で結成された組織です。
まず、なぜ京都なのか。幕末の京都は政治の中心地で、「尊皇攘夷」だけでなく「倒幕運動」を画策する不逞浪士が集まったりしていました。そこでそういった輩の取り締まりの為に結成されたのが「新撰組」です。
「新撰組」も「尊皇攘夷」の思想は持っていました。しかし同じ「尊王攘夷」の思想でも、幕府側と倒幕派では「何を中心にするか」で考え方が違いました。
「幕府側」は、「幕府」によって間接的に「尊皇攘夷」を実現することを目指し、倒幕派は、外国に対し弱腰な幕府を倒幕し、新政府で「尊皇攘夷」を目指すというものでした。
歴史の流れの中で見れば、丁度「明治維新」の5年前から「明治維新」の翌年に戊辰戦争最後の戦い「五稜郭の戦い」までが「新撰組」の活躍した期間と言えるでしょう。
その期間の中で、まずは「池田屋事件」です。倒幕派の長州藩を打ち取ったことで「新撰組」は一躍有名になりました。
この後、「大政奉還」があり、徳川慶喜率いる旧政府軍と薩摩藩・長州藩率いる新政府軍との戦の中に新撰組も巻き込まれていきます。
幕府軍と新政府軍の初戦こそが「鳥羽伏見の戦い」でした。ピストルや大砲など近代的な武器を持つ新政府軍に対し、刀や槍など旧式の戦法で戦いに臨んだ幕府軍は、圧倒的な力の差で敗北。戦力の低下した「新撰組」は、「甲陽鎮撫隊」と名を改め甲州街道を甲府城へ進軍するのですが、その途中「甲州勝沼の戦い」で板垣退助率いる「迅衝隊」に敗退します。この後近藤勇は新政府軍に捕らえられ処刑されます。その後戦いは「会津戦争」から「五稜郭の戦い」へと移り、土方歳三はここで戦士し、降伏します。