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下関&関門橋

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 「下関」と「開門橋」の両面提灯です。本州側の山口県の「下関」の「関」と、九州側の福岡県「門司」の「門」をとって「関門」と呼ばれる「橋」が「関門橋」です。

 「関門橋」は提灯にある1974年11月14日ではなく、1973年11月14日に開通しました。橋長1,068m、最大支間長712mです。開通からすでに40年以上の時が経つ「関門橋」は、開通当初から「関門自動車道」として高速道路の一部になっている為、徒歩で橋を渡ることはできませんが、「関門橋」のすぐ地下には、「関門トンネル」(国道2号線)あり、そのトンネルの真下には人道が通されていて、歩いて九州と本州とを行き来することが可能です。

 次に提灯に描かれている「先帝祭上臈道中(じょうろうどうちゅう)」は、毎年5月に山口県下関市にて行われる「しものせき海峡まつり」において行われる神事で「先帝祭(せんていさい)」と呼ばれます。
「先帝祭」の「先帝」とは、源氏と平家の「壇ノ浦の戦い」の際、に弱冠8歳で崩御された「安徳天皇」のことを指します。つまり、「先帝祭」とは、壇之浦の合戦で入水した「安徳幼帝」を偲ぶお祭りなのです。

 提灯にも描かれている「上臈」ですが、その言葉の意味は「身分の高い遊女」のことで、いわゆる「太夫」とか「花魁」のことを指します。つまり、先帝祭での「上臈参拝」とは、「身分の高い遊女が安徳天皇の御廟所に参拝すること」を意味しています。

 では、「安徳天皇」と「遊女」の接点はなんなのでしょうか?「安徳天皇」の入水後、同じく海に身を投じた女官の中には、不本意ながら生きながらえた者たちもいました。その人たちは、少し前までは、宮廷で天皇にお仕えしていた女官で、宮廷以外の世界で生き延びる術を持ち合わせていない人たちもいたようです。そのような元官女の中には、下関で遊女として生き延びた者もいたそうです。その元女官の遊女が、安徳天皇の命日に御廟所に参拝し、ご冥福を祈ったのが起源とされています。

「しものせき海峡まつり」の先帝祭へのアクセスは、
JR「下関駅」から「サンデン交通長府方面行き」バスで7分、「唐戸」下車、徒歩3分。