小野小町&秋田
美人の代名詞である小野小町
秋田だという出生の確証はない
実は素顔ははっきりしてない
「花の色は 移りにけりな いたづらに 我身世にふる ながめせしまに」有名な小野小町の歌で、小倉百人一首の9番でもあります。
その意味は、美しかった花の色も色あせてしまった。長雨が降るのを物思いにふけって眺めているうちに、私の容貌もすっかり衰えてしまいました。という意味だと言われています。
小野小町は平安時代のはじめ、文徳、清和天皇の頃の人で、女官として宮廷に仕えていたと伝えられています。参議篁の孫であるとも、小野良貞の良人であるとも言われていますが、小野小町は和歌にもすぐれ、紀貫之が選んだ六歌仙や、藤原公任が選んだ三十六歌仙のひとりにも数えられていて、優れた歌人でもありました。
彼女は絶世の美女として七小町など数々の逸話があり、後世に能や浄瑠璃などの題材としても使われていますが、当時の小野小町像とされる絵や彫像は現存せず、後世に描かれた絵でも後姿が大半を占めており、素顔が描かれていない事が多く、本当の顔は伺いしれないのでが、現代でも「小野小町」は美人の代名詞に使われ、その美しさは着物を通して輝いていたと言われるほどで、小野小町には様々な伝説が伝えられているほか、謡曲や戯曲、歌舞伎などの題材にもなっています。
小野小町の生まれは諸説あり、必ずしも秋田というわけではないのですが、その中でも有力視されているひとつが秋田で、秋田県湯沢市雄勝町が生誕と終焉地とされています。周辺には沢山の小野小町の伝承、伝説の史跡が密集しているのですが、ほとんどが口伝として伝わっているだけで確証はありません。
小野小町は在原業平のことが好きだったようですが、業平はそのことに気づかず、この和歌はそのことを嘆いてつくった和歌だとも言われています。花を喩えに、恋心を巧みに表現しています。「いたづらに」の句が上の句にかかるとすれば、「いつの間にか、花の色も変わってしまった」ととらえることができますが、下の句にかかると解釈すれば、「空しく過ごしているうちに」というようにも取ることができます。このように、上の句と下の句を曖昧につなぐことで、歌全体にいっそうの趣が加えられていると言えます。