飯盛山
|
白虎隊「飯盛山」の片面提灯です。向かって右側にはイタリー記念碑、一方左側には鶴ヶ城と白虎隊が描かれています。
「飯盛山」には他にも見どころとして、さざえ堂や戸の口堰洞穴などが折角あるのですから、そのあたりのイラストが裏側あたりにあっても良かったのですが、残念ながら裏側には何もありません。
さて、左側に描かれたイタリー碑は、白虎隊をたたえてローマ市民からとして、当時のイタリア首相ムッソリーニから
『白虎隊とイタリアのファシスタ党とは、一脈相通じるものがある。』として贈られた石碑だそうです。
一方右側に描かれた鶴ヶ城は、今では若松城と呼ばれる事の多い城で、戊辰戦争の会津戦争において会津勢が立て籠もった城です。
「飯盛山」は、会津若松市街にあり、飯を盛ったような形の山ということから名付けられたそうです。新政府軍と幕府方会津藩の間で発生した会津戦争で会津藩には白虎隊が結成され、戸ノ口原の戦いにおいて敗走し、撤退する際にこの飯盛山に逃れたのですが、そこから鶴ヶ城周辺の武家屋敷等が燃えているのを見て鶴ヶ城が落城したと錯覚し自刃した地でもあります。
ここ「飯森山」には、白虎隊十九士の墓、各地で戦死した三十一士の墓、イタリア記念碑、ドイツ記念碑、さざえ堂、宇賀神堂、厳島神社、白虎隊引揚の洞門、市天然記念物の太夫桜など、数多くの神話、史跡名所が残っています。
ちなみに、全国に「飯盛山」という名の山は多く、呼び方も「いいもりやま」と「めしもりやま」というふうに違ったりします。