会津若松
「会津若松」の提灯です。「会津若松」は、福島県にある都市で、そのシンボル的存在が「鶴ヶ城」です。
「鶴ヶ城」のエピソードと言えば、やはり「白虎隊」でしょう。
戊辰戦争の際、白虎隊は飯盛山に辿り着くと、鶴ヶ城の天守閣が黒煙にまみれているのを見て「城は陥落した。主君のために殉じよう」と、全員が自決する事を決意し自刃します。しかしその中で唯一生き残った飯沼貞吉が後に白虎隊の忠義と悲運の物語を人々に伝えたことで「鶴ヶ城」と「白虎隊」の最後のシーンが有名になりました。
(※実際は城は陥落していない事は白虎隊も分かっていたけど、城に戻って戦おうとして敵につかめれば恥だから自刃しようとなったとも言います)
提灯には、その「鶴ヶ城」の他に、「会津天神」「赤べこ」が描かれています。
「会津天神」は今から約400年前に、会津藩主だった蒲生氏郷が京都から人形師を呼び寄せて作らせたのが「会津天神」の始まりとされています。天神様は学問の神といわれる菅原道真をまつった神様です。それが人形となり、伝統玩具として各地に伝わっていきました。子どもが道真のように頭が良くなり出世しますように、と思う親心のあらわれとも言われています。
「赤べこ」は、「会津天神」と同様に、会津の伝統玩具です。会津では牛のことをベコと呼びます。かつて会津地方で大地震が起こり、会津柳津円蔵寺虚空蔵堂が倒壊しました。その後、険しい崖の上に再建されることになり、木材運搬に使役された牛が険しい道のりのため数多く倒れましたが、最後まで働き通した牛が赤い色をしていたと伝えられており、その牛のことを親しみを持って「赤ベコ」と呼ぶようになりました。その言い伝えにあやかって「忍耐強く壮健であれ」という願いを込めて張り子の「赤ベコ」が作られるようになりました。赤は疫神が嫌う色とされ、また胴体に描かれた丸い模様は、疫病を受けて治った傷跡を表しています。家内安全・無病息災・疫病退散として現在まで愛される玩具として有名になりました。